カテゴリー別アーカイブ: 東日本大震災復興応援公演

6月6日 秋田県仙北市 駒ケ岳観光ホテル

秋田県は一見は被災地とは見られていないが岩手県内の被災者をスキー場の観光ホテルが宿泊場所を提供していることを知り尋ねた。 秋田県には慰問、ボランティアが来ていないとのこともあって市や街を上げて感激して下さった。 会場の駒ヶ岳観光ホテルの宿泊者だけでなく近隣の避難所からもマイクロバスでピストン輸送して下さり、菅原先生マヒナスターズのまりさん共々、本格的な歌謡ショーを実施して大盛況のうちに一週間にわたる東北被災地応援公演を終えた。 この一週間、辛い光景をも目の当たりにしたが皆さん元気である。 半世紀前、終戦を迎えたときには全国は焼け野原だったが…「月がとっても青いから」がヒットした昭和30年には「もはや戦後ではない」と言われて、19年後にはオリンピックも開催されるまでに復興した。 確かに、時間はかかるかもしれない。だが、明るく希望をもてば必ずや復興できる、と改めて感じると共に今回の慰問のフィナーレは「リンゴの唄」を選んで演奏してきたが、唄を通じて少しでも被災者の慰め励ましとなったとすれば往復1500キロの旅も意義のある活動となったと思う。 本当に被災地の復興を心から今一度祈りつつ、東日本大震災被災地応援公演の報告としたい。

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6月5日 岩手県雫石市 雫石プリンスホテル

今日からは4月の統一地方選挙で見事、千葉市市会議員に当選した亀井琢磨君も参加。 昨日に引き続き、信楽順三先生のピアノ伴奏で敢えて我々もお年寄りと輪になって歌い上げた。 ただ、一方的にショーとして演出するだけでなくお年寄りと輪になって歌うという慰問のスタイルも会場内がひとつになり隣の方との親睦も深まり楽しい公演となった。

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6月4日 岩手県盛岡市 つなぎ温泉愛真館

この町の温泉ホテルに釜石市の被災者が避難していると聞いて温泉ホテルに伺う。 今日からは作曲家の信楽順三先生も新幹線で駆けつけて下さり、先生のピアノ伴奏で公演を行った。 途中で信楽先生が「東北だから民謡を弾きましょう」と呼び掛けたら聴衆から「釜石小唄」がいいと皆さんで♪ここは釜石~宝の港と大合唱され、ワンコーラスを聞いた信楽先生は流石に作曲家。すぐに2番からは伴奏をされたのには会場内からどよめきの声とお年寄りの眼差しがキラキラと輝いた。 後で調べたら昭和5年に明本京静の作曲した新民謡であったが歌詞をすべて暗記しておられて生き生きと歌われる姿には慰問に行った我われが元気づけられた!!

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6月3日 宮城県多賀城市 多賀城市文化センター

こちらでも大ホールなどでは車椅子の方が観覧できないことを配慮して玄関ロビーに仮設の舞台を設営して公演を行った。 観客から「水戸黄門の主題歌を歌って欲しい」とのリクエストが飛び出した。 カラオケも譜面もないのでアカペラで唄う。 ♪人生楽ありゃ 苦もあるさ 涙の跡には 虹もでる~♪♪ 歌詞を噛み締めながら被災者の希望のまさに応援歌だと思うと…こちらが嗚咽して声が出ないほど…。 本当に人生には楽なこともあれば苦しいこともある。 皆さんと大合唱して心を熱くして次の訪問地へと向かった。

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6月2日 福島県相馬市 相馬市総合福祉センター

相馬市総合福祉センターを訪問。 それなりに高齢者の数はあるのだが働き盛りの世代が皆無。何でも働ける人間は瓦礫の撤去作業に出掛けているとのことであった。 公演は盛況。 ただ、文部省唱歌「ふるさと」に号泣して目頭を抑える方々のいる現状に「ふるさと」への復興を願う気持ちと遣りきれない辛さを肌身で感じる結果となった。 公演を終えて宮城県多賀城市へ向かう。 途中、道を境に陸側には瓦礫の山。海側は何もかもなくコンクリートの建物の骨組みだけが残っている場所に車を停めて外に出てみることにした。 場所は名取市。ニュースでは再三耳にした街だがこれ程までとは…。 一同でなんにも無くなった大地に頭を垂れて黙祷。 この震災で何万人という人々が亡くなり、家を失い、家族の行方すら分からない有り様に只々、一日も早い復興とご冥福を祈った。

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6月1日 福島県郡山市 ビッグパレットふくしま

ビックパレットふくしまにてスピーカーや音響機材などの設営からはじめた。ここで力を発揮してくれたのが、東日本大震災を受けてボランティアをしたいと来日したアメリカ人のショーン君。なんでも学生時代に山形にホームステイしたことがあったから震災のニュースを見て居ても立っても居られない!!と単身で来日。若干23才ハンサムボーイ。ボランティアをしたいと来日したが外国人ということで断られ縁あってわが慰問団に加わってくれた。彼のお陰で設営はスムーズに運びいざや公演を開始。 歌声に誘われて人々が集まり仕舞いには階段に腰かけて見てくださる方や警備の警察官もいつの間にか聴衆の中に(笑) 無事に公演は大盛況で撤収してトイレを借りて帰るときに不思議な張り紙を眼にした。 (1)高齢者、妊産婦、乳幼児 (2)小学生、中学生 (3)18歳以上の者 (4)高校生 これは配給の弁当の貰う優先順位とのこと。 なんで18歳以上の者の下に高校生なのか?尋ねてみると大学生や専門学校生は都内に行っているのがほとんどだからということだった。 思い起こせば…人生で一番食べられいくら食べても腹がすいていたことを思い起こすと食べ盛りの高校生が一番食べられないという事態に無情の憐れみを感じて会場を後にした。 郡山市から相馬市へ。 行き交う車は自衛隊の救援隊と警察車輛のみ。道は直された後が分かるほどアスファルトが新しいところが頻繁にあり車は上下に揺れ山道を抜けて太平洋が一望できる光景になると終戦後の焼け跡写真をカラーにしたごとくに家がなく海にはマイクロバスが浸かったまま。更に車を進めると家と家の屋根に船が乗り上げ、街がツートンカラーになっていた。一瞬、蔵造りの街並みのようだが、津波で建前の半分以上まで浸かり色が変わっていたのだ。 土産物店の中は骨組みのみ。誠に凄まじい光景であった。 宿は無理をお願いして瓦礫撤去の作業員が宿泊する宿に座敷ひと間を借りて夜を明かした。

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5月31日 移動日

メンバーには大宮駅に集合して頂き、この被災地慰問のために導入したワンボックスカーで東北道を一路、福島県郡山市へ。 全日の反省もあり事前に会場を見たいと、ビックパレットふくしまへ。 会場に着くと自衛隊の被災救援車が並び「ああ、本当の被災地に来たのだと」思いつつ車を降りると、ぷ~んとバスクリンの薫り。 匂いのする方へ眼を向けると迷彩色のテントの中に仮設のお風呂場が…。 翌日の公演は車椅子の方でも御覧頂けるように玄関ホールにすることにして一行はビジネスホテルに宿泊。 同行の櫻井まりさんは歌の稽古のために深夜までわたくしと車中で音合わせ。ギリギリまでも稽古を怠らないまりさんの姿勢にはプロ歌手の魂が窺えた。

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5月30日 福島県双葉町/埼玉県加須市騎西高校

東日本大震災を受けて東北の被災地応援公演を企画したわが法人では、原発で危険区域に指定され町ごと避難されている福島県双葉町(旧埼玉県立騎西高校に)を訪問した。 菅原都々子先生、マヒナスターズの松平直樹さん、櫻井まりさんらフルメンバーで伺う。 廃校した学校ということでエアコンもなく人々が疲れ切っている印象を受けた。 会場は旧視聴覚室しか場所がないとのこと、しかもエレベーターなしの5階ということで車椅子のお年寄りは会場には上がれず昇降口で入り帰りの菅原先生らに握手を求めてきたのだが…「聞きたい、観たいのに観られなかった」方々のいることを目の当たりにして、いよいよ明日からの東北被災地では、やる場所を考えなくてはと反省点を考える初日となった。 会場内では歩けるお年寄りや段階の世代からも盛大な拍手と共に涙する光景が繰り広げられた。

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